目指す人物像

最近、自分をはじめ、人の感情に大きく影響を与えているものは、

「自分はこうなりたい。」といったような
「目指す人物像」なんだな、と感じることがある。

・もし、すでにこうなりたい尊敬する人物がいるのだとすれば、
あの人のようになりたいから、自分も同じようにする!

・自分で思い描いた人物像があるならば、
こんな人になりたいから、自分はこうする!、といったように感情が動いていく。

しかし、その「目指す人物像」が分からないときは、どうだろうか。

多数派に従うことや、
他者との比較で、自己正当化を行うことが、多いのではないだろうか?

この2つは、そのときの条件によって、基準が大きく変わるものである。
なので、自分の軸を持つことが出来ない。


【これから感じたこと。】

会社の採用などページや、人事といった、判断基準として人物像を見られる側は、まさに組織の看板的な存在なので、非常に重要だな思う。

また、判断する側は、「目指す人物像」を持っていることが必要だなと。


自分は、なりたい人物像を追い続けるとともに、
あんな人になりたいと、追われる存在でありたいと思った。