日本が生んだアフリカの巨人の話。


佐藤芳之氏は、1974年にケニアでKenya nut company(以後KNC)を創業した。当初は何も無い状態からスタートしたKNCだったが、今や4000人以上を雇用するケニアの一大企業となっている。Kenyaは、1人あたり10人の親族を養っていると言われているため、KNCは4万人の生活を支えている企業とも言える。

佐藤という1人の人間からはじまったKNCであるが、68歳にして佐藤氏はタダ当然で雇用してきたケニア人に会社を譲り渡したと。そして、今や経営にも一切タッチしていないと言う。

この事実を聞いて多くの人は、
「なんてクレイジーな人だ。」または「なんて良い人だ。」
などと感じるだろう。

今回、この佐藤氏の話から以下2つのことについて言及したいと思う。
「人は必要なくなる」
「原点に戻る」


「人は必要なくなる」

「人は必要なくなる」この意味とは、「人は自立する」ということである。自立とは、人が生きるために極めて重要なことでもある。もし、その自立のきっかけを人に与えることが出来たとしたら、非常に大きな価値だと私は考える。佐藤氏は、そのことを自ら語りはしない。これが、佐藤氏の凄みである。


自立とは難しいことである。
その原因には大きく2つあると思う。

1つは、自立すべき人が、上に立つ人に依存し続けてしまうこと。
もう1つは、上に立つ人が、いつまでも居座り続けてしまうことだ。

自立する側の学び取るマインドやポテンシャルと行ったものをここで言及するつもりは無い、今目の前にいる人がずっと居るそう思っているか否かで、人の自立可能性というのはぐんと変わるのだ。

企業とは、居心地の良い空間を作って居座り続けるものではない。
何かを成し遂げるために一時的に集まった同志なのである。

だからこそ、上に立つ者は、いつかは去るべきなのだ。
人は必要なくなるのが当たり前であり、そうなるのが、成功なのだから。

「原点に戻る」

佐藤氏は言う「自分の欲に上限を持つことが必要だ。なぜなら人は、人を支配したがり、人に頼られ、人の上に立つことで自分が偉くなったように勘違いしてしまう生き物だから。」。

「自分の欲に上限を持つこと」これは言い換えると「原点に戻ること」と言える。佐藤氏は、「そもそも自分は何のために今このことをやっているのか?」といったことをことあるたびに、顧みて、自分を見失わないようにするのだという。一人一人原点は違う。そして、誰にでも原点はある(あった)。けれど、長い年月がったり、為すことが大きくなり多くの人から注目が集まると、その原点は、多くのノイズによって霞んでしまう。そのときに、目先の気持良さに足を取られてしまうと、なかなか戻ってくることはできなくなってしまうのだ。

前述した、「上に立つ人が、いつまでも居座り続けてしまうこと。」これも非常に近い意味がある。

だからこそ、自分は何でこの会社を作ったのか。なぜこのアフリカの地に足を運んだのか。
そういったものを常に自分に問いかけ、自分の原点と生き甲斐を大切にしてきたからこその、彼の冒頭の功績とクレイジーな判断が出来るのだ。

というより、彼の原点からしてみれば、それは当たり前のことをしただけなのだ。


みなさんも自分の原点について、考えてみてはどうだろう。