社会人になって感じること。

私は、社会人になって、「自分は生かされている」と意識するようになった。社会人になるまでは、それを意識しなくても良いように親に生かしてもらっていたわけだ。しかし、社会人になると、今この時間も賃金が発生していて、お金を貰っているという責任を感じるようになった。つまり、自分は所属している企業に生かされていると意識するようになった。

同時に私は、自分の意思を持たずに生きることは、生きる意味がないと思ったりしているわけだが、冒頭のような意識の変化は、そのような自分の行動の指針に大きく影響するだろうと感じている。この意識の変化を理解して、自らの意志を失わないようにしたい。ちなみに、意志とは、「あることを行いたい、行いたくないという考え。目的や計画を選択し、それを実現させようとする精神の働き。」と定義されている。


今まで私は、1.マイペースかつ任意で、自らの成長を方向付けできる環境に生きていた。しかし、今は、2.成長することが前提とされ、企業の成長のために自らの成長が方向付けられる環境に生きている。ここで重要なのは、1. , 2. のどちらの環境が良い・悪いということではなく、どちらの場合でも自らの「意志」を持って選んだ環境であるかどうかということだと考える。恐らく、その意志の有無こそが、よく言われる「死んだ魚の目をしている人」、「社畜」とか称される人と称されない人との差だとも考えている。


自分の意思を持って、その環境に身を置いている人が「死んだ魚の目」になるはずがないが、どれだけ良い企業に身を置いていても一見意志に反することがわんさか出てくるのが、社会人であり組織の一員であるということだと思う。なぜなら、組織は、意志を持って決断をする一部の人間とそれに従い行動をする多数の人間によって構成されていることがほとんどだからだ。今までは、自分の決断を自分のためにするだけだったわけだが、そこが逆転する。そこで、ただ指示に従い続けていると、もともとあった意志が失われてしまっても仕方がない。また、指示に対して、いちいち自らの意志を介して、行動しようとしていたら、いつまでたっても業務が進まないし、発狂することになるだろう。。


そこで意志を持って組織で生きていくために必要になると思ったことが2つある。

・1つ目は、これだけは譲れない意志をあらかじめ固定しておくこと。
漠然とした得体の知れない意志と、それを振りかざした外部環境への問題意識を抱えていると、収拾がつかなくなる。組織に言い訳だけはしてはいけないのだ。だからこそ、自分の意志の中で「ここだけは、譲れないこと。」「譲らないことで組織のためにも自分のためになること。」をあらかじめ、固定しておくことだ。そうすることで、自らの意志を持って、その環境でナンバーワンを目指すことが出来るのではないだろうか。自分の色を持って、組織に貢献するということがこれだ。


・2つ目は、意志を持って決めた環境で、ただひたすらやるということ。
今、自分が思っているほど、自分は何も知らないし、出来ない。だからこそ、意志を持って選んだ環境で、考えすぎずとにかくナンバーワンになる意気込みでやり込むこと。この状態が、ずーっとになってしまうと本末転倒だが、ある期間やある成果目標に対して、とにかく愚直にやり込むことで、自分の「できる」が広がり、自分の考える意志や見いだせる価値そのものが新しく発掘されることがある。そこから、自分の新しい「好き」が見つかるかもしれないし、それが「できる」の範囲内になっているかもしれないのだ。


社会人になって感じたこと。そして、意志を持って組織で生きていくための、今現在の私の仮説はここまで。もし、皆さんの考えもあれば聞かせてほしい。