負けず嫌いの弊害。

負けず嫌いは、良いこととして考えられることが多いのではないだろうか。
「勝負に真剣で、努力家である」と。

しかし、負けず嫌いには弊害もある。

1つは、新しい挑戦をしようとした場合。
誰でも新しいことを始めるとき、最初は不利な立場である。すなわち負ける可能性が高い。負けず嫌いは、負けるのが嫌だから、そもそも負ける可能性のある勝負をしなくなってしまうことがある。これは、自分の新しい可能性を潰してしまっている。


もう1つは、人を育てる立場になった場合。
負けず嫌いは、自分より大きく成長する人に嫉妬心を持つことがある。また、同様のことだが、人の良いところよりも悪いところに目がいくということがあるのではないだろうか。これは、自分の周りの可能性を潰してしまっている。


「戦うからには勝つ。」この気持ちは極めて重要だ。だが、「負けないために戦わない。」この気持ちはあらゆる可能性を殺していると同時に逃げの理論ではないだろうか。

自分の弱さや未熟さを認めることで生まれる、負けをも恐れない積極性や行動力こそが、本当の意味での「負けず嫌い」ということではないだろうか。

あなたは、負けず嫌いだろうか。

目指す人物像

最近、自分をはじめ、人の感情に大きく影響を与えているものは、

「自分はこうなりたい。」といったような
「目指す人物像」なんだな、と感じることがある。

・もし、すでにこうなりたい尊敬する人物がいるのだとすれば、
あの人のようになりたいから、自分も同じようにする!

・自分で思い描いた人物像があるならば、
こんな人になりたいから、自分はこうする!、といったように感情が動いていく。

しかし、その「目指す人物像」が分からないときは、どうだろうか。

多数派に従うことや、
他者との比較で、自己正当化を行うことが、多いのではないだろうか?

この2つは、そのときの条件によって、基準が大きく変わるものである。
なので、自分の軸を持つことが出来ない。


【これから感じたこと。】

会社の採用などページや、人事といった、判断基準として人物像を見られる側は、まさに組織の看板的な存在なので、非常に重要だな思う。

また、判断する側は、「目指す人物像」を持っていることが必要だなと。


自分は、なりたい人物像を追い続けるとともに、
あんな人になりたいと、追われる存在でありたいと思った。

StartupWeekend Tokyo

StartupWeekend Tokyoに参加してきました。

このイベントは、週末の金曜日の夜から日曜日の夜までの54時間で、初対面の人たちでチームビルディングから、プロダクト開発まで行いましょうという、極めてクレイジーなイベントです。
http://tokyo.startupweekend.org/

僕は今回、初参加で、色々な意味で挑戦だったのですが、とても良い体験をすることが出来ました。

ここに、イベントの流れと、感じたことを記録しておこうと思います。

1日目(金曜日18:30~)

今回の会場は、サイバーエージェント渋谷マークシティビル)。

会場入りすると、すでに150人ほどの人(ほとんどが社会人の方ですかね)が集まっていて、ピザや缶ビールを片手に談笑をしていました。
早くもカオスな状態で、知り合いのいない僕は、ひたすらピザを食っていました。

その後、「みんな床に座って、好きなワードを声に出して」と指示がありました。

その直後、会場は「はげ!」「トトロ!」「二日酔い!」「オタク!」「風俗!」・・・などと、秩序のないワードが飛び交い続け、

カオスな状態は、深刻度を増すばかりでした。

これが、シリコンバレーか。 
僕は黙ってピザを食うしか出来ませんでした。

その後、ランダムで5人ほどのチームを組み、さっき出たワードの中から好きなものを2つ選び
それに関連する新しいプロダクトのアイデアを出せ。とのミッションが出ました。

そして僕らのチームは「喫煙」と「トトロ」を選択。

トトロを選択した自分が悔やまれましたが、

「禁煙トトロ.com」というプロダクトが完成しました。
トトロの画面付きのシガレット(タバコ)ケースで、喫煙者が煙草をすえば吸うほど、ケース画面のトトロの顔が邪悪になっていくから、禁煙したくなる。
という、極めてシュールなものです。

    • -

こんな感じでアイスブレイクは終了し、60秒のアイデアピッチが始まりました。

このイベントで自分がやりたいアイデアをピッチをして、それに共感した人が、その人のもとに集まることで、チームビルディングが始まるのです。ピッチ後に、チーム人数が一定数以上に満たないところは、チームが無くなっていくと言った、これまたシビアな戦いです。

これが、シリコンバレーか。
僕は、ピザを食うのを辞めて、プレゼンに集中しました。

僕のピッチ内容は「わくわくする人を、増やしたい。だから、学歴や勤務地のような、自己表現ではなく、わくわくの記録を自己表現にするようなものを作りたい。」みたいなことを、話しました。

そしたら、なんと8人もの方が、僕のような若輩者についてきてくださることになり
約50のアイデアから16まで削減されましたが、無事,
僕は、チームビルディングに成功しました。
ここまでで、1日目は終了しました。

2日目(土曜日9:00~)

僕がチームリーダーとのこともあって、夜通し、リーンスタートアップ

リーン・スタートアップ

リーン・スタートアップ

を読み返し、さらにはサービスを作るときの確認事項のフレームワークである、インセプションデッキを作成しました。
アジャイルサムライ−達人開発者への道−

アジャイルサムライ−達人開発者への道−

睡眠不足の中、電車に揺られ、会場で朝ご飯を食べます。(サブウェイが配布された.

この日の作業は、昨晩作成したインセプションデッキの共有から行いました。
ビジョン、解決する問題、サービス概要など。。

その後、ブレストを行おうという話になり、気づけば、昼頃になってしまっていました。

今回のイベントは、MVPという、サービスの本質的価値にフォーカスして、開発を行うことが、今回のイベントの趣旨だったが、そのMVPのイメージの確立にかなり手間取ってしまいました。


サービスイメージが出来た後で、顧客のニーズ調査のためのアンケートなどを行ったのですが、その結果でまた、MVPのイメージ像を大きくピボットすることとなってしまいました。
そして、このピボットは、サービスの内容をシンプルに、というよりも、より複雑にしてしまったのです。

ビジョン共有、ブレスト、ニーズ調査、ピボット・・・と、進めていったが、チームは、サービスを形にするところに持っていくことが出来なくなっていていました。
(技術的問題も確かにあったが、これは、本質的原因ではないと思っている。)

今回の僕たちが、解決したい問題は、「わくわくした人を増やしたい。」といったものです。

しかし、この場合、今この時点で切実な悩みを抱えている人がいる問題ではないので、ニーズ調査でニーズをすくい取ることが難しいという問題もあったように思えます。恐らく、FacebookTwitterのようなサービスも、まだものが出来ていない時点で使いたいかどうか?といったニーズ調査をしてもニーズをすくい取ることは出来なかっただろうと考えています。

そう考えると、まずはユーザーのニーズに偏りすぎるよりも、自分たちが欲しいと感じる、シンプルなビジョンと手段によって、とにかくものを作る。といったことを最初から行うべきだったと今になっては、感じました。

また、ビジョンの共有も確かに大事ですが、ものの15分で本当の意味でのビジョンの共有など出来ないし、ブレストをしても、皆が違う方向に意見を出し合って、収集がつかなくなってしまうだけだったと反省しています。。

ブレストなんてやめちまえ! | itokenv.com
今回の審査員のMOVIDAJAPAN伊藤さんのブログ

そんなこんなで、とりあえずの答えを出して(ピボット)、2日目は終了しました。


3日目(日曜日9:00~)

昨晩で、僕はとりあえず動画MVPなるものを作りました。
Dropboxの動画MVPは、有名です。
YouTube
しかし、僕らのは、機能を詰め込みすぎて、何を伝えたいのか、良くわからなくなっていたように思います。

3日間の睡眠時間は約3時間。死にそう。。
今までわけあって、自宅療養していた身としては、限界を超えていたといっても過言ではない...笑

そして、最終日は、とにかく最後の5分間のプレゼンに向けて時間を費やしました。
しかし、最後まで思うように、チームのマネジメントをすることが出来ずに、皆に手間を取らせてしまいました。


そして、プレゼンでは、スムーズに話した感じでは出来たものの、
情報を詰め込みすぎて、何が本質で何が、そうでないかが、分からなくなってしまっていました。
その証拠に、審査員の方からも質問が、1つしかでなかったという。。。


そして、結果としては、やはり優勝できませんでしたが、それ以上に悔しいのは、評価の前から、どこか自信を持てていなかったことです。

自分自身も、チームそのものもマネージメントできませんでした。
良いチームに出会えただけに、とても悔しかった。

    • -

今回のイベントはめちゃくちゃ心身ともにハードで、消耗しましたが、
得るものが、多かったです。

一言で言えば、「まずは形にすること。」
この大切さを身を以て知りました。

シンプルに、「俺は、こうしたい!」とはっきり言えるということ。
そして、それに共感する人がいるなら、ニーズだってきっとどっかにあるはずだから、まずは最低限の価値で自分たちが欲しいと思うものを形にすることに集中する。

顧客なんか、ほっとけ!それは、後から!
話し合いから、ものは生まれない!まずは、作れ!

そう感じました。


このイベントは3日間で起業体験をする。というのがコンセプトでしたが
これがもし、本当の機会だったら、と思うと。。。笑

3日間という期限、そして評価基準、がある中でビジョンとサービスのコンセプトが乖離していってしまう。ということもあったけど、
本当の起業ならば、収益や顧客獲得、さまざまな制約が起こってくると思う。その中で、自らのビジョンを見失うこと無く、作り続ける。
この難しさを身を以て知りました。

しかし、これをブレイクスルーすることが、王道だ。
ということが、この3日間で疑似体験することが出来ました。

また、機会があれば参加したいと思います。

学習サイクル

何かやるときに大事だなと思ったこと。

1.解決したいことをシンプルに1つ上げる。(目的の設定)

2.解決策の仮説をシンプルに1つ上げる。(手段の設定)
3.仮説が有効かどうかを最低限の方法で実験する。(実験の実行)
4.実験結果をもとに仮説の修正を行う。(手段のピボット)→2へ


この学習サイクルをどれだけ素早く回せるかが、肝。

大事なのは、「シンプルに1つ」というところ、色々詰め込めたいんだけど、そこを本質だけに絞って1つシンプルに上げることが、なかなか出来ない人が多い。

結局、お前は何がしたいの?

ビジョンとは、方位磁石のようなもの。
素数のようにシンプルである必要がある。

要は、「俺は、こうしたい!」とはっきり言えるということ。

チームならば、それが皆に共有されていなくてはならない。
自分は分かっていても、仲間が分かっていなければ、
それは、チームの迷走の始まり。

スタートで、ゴールは決まっているのである。


あなたは、「なにがしたいのですか?」
はっきりと答えられますか?

私の就活について

・最近、2014卒の学年の方から就活の相談に乗ることが増えてきた。
・私の就活が、当時周りのみんなと大きく異なっていると思った。
これら理由から、私の就活について記録を残しておこうと思います。

まず始めに、私は、就職活動を「企業から選んでもらう」ではなく、
「企業を知る。自分を知ってもらう。」というスタンスで行いました。

自分の能力に自信があった訳ではありません。その方が、自分にとっても企業にとってもwin-winだと思っただけです。

「学生」「企業」両者の考えとしては
・学生は、自分が働きやすくて、やりがいを感じる企業に合格したい。
・企業は、ともに働いていく上で、企業に貢献してくれる仲間を捜している。

私はそう思っていたので、学生である私がすべきことは、自身を取り繕うのではなく、自分を素直に表現するために、相手に伝わりやすくすること、それだけだと思いました。


なので、就活の直前になっての自分を取り繕うための自己分析や面接マニュアルというものに、模範解答を当てはめる行為や、説明会などで社長や人事担当に、媚を売るような感想しか言わない就活生のスタイルは、lose-loseとしか思えませんでした。

・私は、疑問に思うところをほりさげるような質問をしました。
・また、自分が誇りを持って取り組んでいることについて、アドバイスを貰ったり、どう思うか、聞いてみたりしました。

もし仮に、それで相手側の企業に選ばれなかったとしても、それはむしろハッピーです。そして、自分をはっきり伝えられたならば、学生-企業という立場から、相手と同じ人間として話が出来ます。就職という1つの狭い考えではなく、お互いのためにもっと未来の話が出来ます。

私は、そのお陰で、就活後も、プライベートでも相談に乗ってもらえる尊敬する方に出会うことができました。

・他には、自分の考えをまとめて、言葉にして伝えるための準備をしました。具体的には、自分が問題に思っていることや、今まで活動してきたことの理由を改めて文字に落としてみたりということです。

思いがあっても、人間同士なので、やはり言葉として上手く伝えられなければ、相手には伝わりません。なので、伝える練習というのは大切だと思います。ただ、伝えるものを取り繕うというのは、誤りだということが、分かっていただけると思います。

    • -

私は、全く新しい価値を生み出すことで、世の中を変えたい。という思いがあり、実際にやってみたいことがありましたので、それを伝えました。

その中で、普通の就活生がやらないと思われる行為もあったかもしれません。
社長さんと口論になったこともありました...(今ではfb friend笑)

ですが、この行為そのものに意味があるのではなく、何故それをしようと思ったか、という考えが結局大切だと思うので、何をしたかはここには、書きません。。

今一度、自分は何を大切にしていて、何にやりがいを感じるのか、どんな人と働きたいのか、自分を見つめ直してみてほしいと思います。

自分を大切にしてほしいと思います。

私は、こうして運命を感じる企業に出会うことが出来ました。
この企業は、世界を変えるだろうと思っています。

私が、変えたい世界について。

私が、変えたい世界について。
とっさに書きたいと思ったので、書きます。

着想も問題意識も、私という未熟な人間の頭の中、という小さな部屋の中のものなので、外にさらして、皆さんの意見を頂ければと思います。


私は、人が幸せを感じるときとは、自分の目的を追うことが出来ているときではないかと考えています。例えば、お腹がすいたからご飯を食べるとか、あの人が好きだから一緒にいるとか。そういった、動物本能的な行為は、目的と手段がシンプルだと思います。ですが、人は賢いので、目先の1つの行為で目的を達成するものではなくて、複数の手段を組み合わせて、大きな目的を達成しようとします。


しかし、少し油断すると目先の手段を目的と勘違いしてしまいます。そして、気がついたら自分の目的が達成できていないと知る。もしかしたら、気がつくことも無く、なんのためにやってんだろ?と思いながらも合理的に後先考えて、その状況を維持し続ける。これは、人が賢いゆえに幸せを弊害していることであるとも思うのです。


ここまでの話は、もともと目的があった人が、それを見失ってしまうという、個人に問題があった結果だと思うのですが、私がもっと問題に思うのは、個人ではなく社会の仕組みそのものが、手段を目的とする形になってしまっていることがあるのではないか、ということです。


例えば、学校の成績とか、学歴というのは、それそのものが、目的ではなくて、掘り下げれば、それを手段することで、自分の目的がいつか見つかったときに、それを達成したり、自分がやりがいを感じられる形で世の中に貢献する。というスタンスが本来ならあるべき姿だと思っています。


成績のABCや学歴で一辺倒に人の優劣を決めようとする行為にも、疑問を感じます。そもそもなぜその成績になったのか?何にやりがいを感じるのか?なぜそれだけ頑張れたのか?という根源をもうもっと大切にすべきだと思うのです。成績や学歴という、画一化した表現ツール(公のものさし)を作ることで、人を比べることや、社会全体の平均学力を向上させることは出来ると思います。しかし、日本の教育で10年以上かけて学んだことを表す「学歴」というものは、それだけの長い年月をかけて作るほどの価値ある表現ツールなのだろうかと疑問に思います。


その表現ツールの中にある、学力そのものというのは、社会になっても使えないものが多いというのは、よく言われることだと思います。なぜなら、目的を持って学習(input)されたものでないから、発揮(output)できないのは、当たり前だと思います。英語10年以上学んでも英語を話せないこととかは分かりやすい例だと思います。大学での勉強も、目的のない学習は、学生側の意欲が低いだけではなく、いかに楽をして単位を取るか。という思考サイクルになるのも仕方がありません。いわゆる、いつまでたってもoutputできるinputは身に付かないのです。


私は、内輪で自分たちを格付けするだけの表現ツールを作ることが目的となりすぎてしまっているのではないかと危惧して思います。このことは、個人の幸せという視点で見てもデメリットが大きいですが、日本という組織という視点で見てもデメリットが大きいと思います。一昔前ならば、それなりの平均学力をもってそれなりの企業に入れば、日本という組織全体が、上り経済・上り調子だったので、雇用が充実していて、今までになかった画期的な家電製品も次々と現れるし、どちらかというと受動的な幸福が多かった思います。


ですが、今は違います。日本という国そのものが下り調子・下り経済で、様々な問題が叫ばれているだけでなく、新興国の勢いにも圧倒されています。そして、それらの諸外国の学生は日本の学生より遥かに優秀とも感じています。学力的なものはもとより、何より個人の目的がはっきりしていると感じます。


そんな中、私たちは、内輪で自分たちを格付けするだけの表現ツールにしがみついたままで良いのだろうかと思うのです。これは、個人の幸せが小さくなってしまうということと同時に、日本という組織の力が小さくなってしまうということにも共通するのではないのかと思うわけです。


学歴というものを、分かりやすい例として挙げたので、学生視点な話になってしまったのですが、このような経営者の話を聞いたことがあります。

「自分が世の中に対して問題に思うことを解決することで、世の中を良くしようと始めた事業だったのに、成功して周りから評価されるうちに、自分は偉くなったような気になってしまった。そして、いつしか名声や利益が目的になり、一線を退くときに、気がつけば大金持ちになっていたものの、全く幸せは感じられなくなっていた。」というものでした。

世間的に成功者と言われる立場の人でですら、手段と目的は見失うものであると感じられます。だからこそ、私は人間の幸せ、という生きることの本質を考えるときに、手段と目的の題目は切っても切れないものだと思うのです。



『この問題を解決するために、自分ができる思ったこと。』
問題を言うだけだったら、面白くないので、私がやりたいことを最後に。


私は、新しい自己表現ツールを作れないかと考えています。それは、そんな小難しいものではなく、自分のやりがいに感じている活動の「記録の蓄積」と「時間の経過」とともにその個人を視覚的に表現できるものです。


それは、自身を見失うことがないためのツールでもあり、自分を人に紹介するときに見せることができるツールでもあります。そしてそれは、人と人とを比べるものではないものです。


この一番の特徴として、時間の経過とともに記録の価値を低下させないことがあります。いわゆる、記録したものがFacebookのようなタイムラインで下へ下へと追いやられて、その記録を見ることがなくなり、いつか忘れてしまうような形のものでなく、複数の記録が時間が経過しても全く同じ価値として、一画面で視覚化します。


活動して、それを記録することを楽しくさせること。その記録の価値を未来にわたって、価値を下げさせないこと。結果として、その記録の蓄積そのものが自分の唯一無二の自己表現ツールになることを可能とし、少し世界を良くできるのではないかと考えています。